うりり〜ん日記 〜〜〜〜〜〜

 2000.10.24(火曜日)

季節を感じる家?

最近めっきり寒くなってきて、そろそろ今まで設計した住宅でも床暖房のスイッチを入れる頃でしょう。
今まで設計してきた住宅は、なぜかすべて床暖房を設置しているので、毎年、エネルギーの使用量を記録して、ランニングコストを出しています。
暑がり、寒がり、地域性などもあるので、一概には言えませんが、1平米あたり0.03〜0.05L/時間の灯油消費量で、快適に過ごせるというデータを示せるようになりました。
そもそも床暖房をこんなに気に入っているのは、我家の環境問題から話さなければなりません。
といっても、ゴミ問題ではなく、暑い寒いの論争です。

実は、私は暑がりです。脂肪というコートを身に付けているため、冬はパソコンモニタとコピー機の余熱だけでも暖かいし、頭冴えて抜群に効率がよく、夏は殆どビール漬けのダメ人間です。
パートナーの妻は逆に寒がりで、夏はクーラーいらずで、冬は冬眠するほど寒さに弱く、まったく逆なのでした。
秋になると毎年、「こたつを買えー!」と猫と二人で大合唱するのに対して、
「いらないじゃん。ストーブあるし」と不要説を得々と語るたびに、妻から食べ物の恨みよりも恐ろしい眼差しがかえってきます。
したがって、それぞれの部屋は温度差が20度くらいあるような状態になっていました。
でも、その原因解明は意外に簡単なのでした。
私は頭さえ暖まらなければOKで、妻は足さえ冷たくなけれ良いので、床暖房を知ってからは、それがいつしか理想の暖房となり、夏には、私は風さえ当たっていればいいのですから、扇風機を買って解決。かくして、天井扇風機と床暖房という2点が設計内容に必ず登場するようになりました。
このように設計において、夏と冬の冷暖房はかなり意識する問題ですが、夏に設計すると、山小屋なんかの素地の杉の床が気持ち良くって、「もう、床暖房をいれるのやめようよ!自然の木のまま一番いいなあ」と事務所内で言ったりするのですが、すぐさま妻は「とんでもない!あの冬の寒さを忘れたの?」と言われ、また冬になると他人の家で、足の裏が凍るほど冷たくなるたびに、「やっぱ床暖房はいいよねえ」などと言ってしまうのです。
でも雑誌に載っている住宅の設計者も同じようです。
掲載月から逆算して冬に設計していたと思われる住宅はガラスだらけのものが多く、夏に設計したと思われる家は、軒が深かったりと、結構みなさん影響されているのでは?
「住まいは夏を旨とす」と教わった私。
「暑さは耐えられるが、寒さは耐えられない」とは妻の言葉。
両方合わせて、「開放的で冬暖かい住宅づくり」を改めて意識した一日でした。


 2000.10.16(月曜日)

男 尻

昨日まで、仕事で姫路に滞在している間、灘のケンカ祭りを見る機会がありました。
完全に男の祭りで、毎年けが人も出るのですが、ここの人たちは、毎年祭りのために生きてるようなそんな人が多い。
私自身は、流民(いわゆる引っ越しばかりしていた家族)なので、どこかの土地に定着していたことがなく、祭りというものを半径5m以内で体験するのは初めて。(悲しい)
で、そこで何を体験したのかっていうと、始めから終わりまで、尻、尻、尻。
ふんどし姿の男の生尻が自分のまわりに渦巻いて、それに圧倒されまくり。
豪華な神輿の金飾りを建築的・芸術的に語ることもなく、7台の神輿を担ぐ約300人以上の男の尻を観賞して帰ってきました。
というわけで、それ以上でも、それ以下でもないんですが。
以前お世話になった、カナダ人の大工までもなぜか担いでいまして。
来年は私も参加したいなあ・・・・・でも尻を出すのは抵抗が・・・。
ワッショイ。


 2000.10.10(火曜日)

袖の下

数年前に、我が事務所で大きな建物の設計をした時のことです。
普段小さな住宅ばかりを設計しているせいか、大きな建物ならでは? の驚くべき経験をしました。
とあるゼネコンの方が、電話をしてきて「近くに来ているので、挨拶がわりに寄ります」と一方的に押しかけ、
さらにせっかくですからと 接待への一席へと汚いカッコのまま連れていかれたのです。
座敷では、社長なる方が、わが社の業績、ポリシー云々・・・・・小1時間ほど一方的に話す間、
部下達はひたすら酒を私のグラスに満たして、もう頭はくらくら。
やっと終わりかと、帰ろうとする店の前で、挨拶を交わしたその時、 お迎えの車に乗り込もうとする社長は
「あ、忘れてましたが、郷土のみやげです!」と言って、私に一つの紙袋をポンと手渡しました。
「あ、どーも」といいつつ、紙袋の重さに異変を感じたので、 酔っ払いながらも目を凝らして袋の中をよく見ると、どうやらお菓子ではない。
封筒のような紙包みが一つ。
中を覗いて、あれまーびっくり! いくつもの札束ではないですか。
大体300万位はあったかなあ、確かめてはないけれど。
「いただきまーす!」ではなくて、「これは受け取れません!」と、 すぐさま返したのですが、なにやら恐くなりました。
事務所に帰って、その話しを模型作業で泊まり込んでる人達にすると
「なんだー、もらちゃえばいいのに!領収書いらないんでしょ?」「裏金だあ!」「賄賂だ!」などとはしゃいで、無責任なことを言う、言う。
一体どこから出てくるのでしょう、あのお金は。
もらったら最後ですよね。
結局そのゼネコンは、見積書の内容のあまり落ちの多さに、金額は安いものの仕事を依頼するには至りませんでしたが。


 2000.10.5(木曜日)

IT革命?

建築学科の4年生は今、ディプロマ(卒業制作)のアイディア練りに奮闘中のようです。
先日、中間発表会とやらで各自がテーマをプレゼンしたらしいのですが、
その殆どが「IT革命は建築を変えるか?」とか「IT革命時代の建築」だったそうです。
ある学生さんにどういうことか聞いてみました。
「携帯電話が普及して、携帯空間というコンセプトが出たり、パソコンの普及で、
「空間」が劇的に携帯化してきており、個人空間が建築空間を飛び出し、町に溢れて出している。」ということらしい。
建築がITによって変わるかどうかは今日は触れませんが、ITはそんなに大切か?という ことについてはコメントがあります。

私には、IT革命と言う名のもとに、高度な機器や装置が、人間を劇的に飛躍させて変えたり、
幸せにしてくれたりするような錯覚を持つこと自体が疑問で、
人間はそんなに単純じゃないと思ってます。
今まで発明された、数々の便利モノ、高度な機械は、確かに労働時間の低減と余暇時間の増大をもたらしたのかも知れません。
我が事務所もずいぶん前から、時代に先行してパソコンや情報機器を使ってきました。
でも、最近は疑問に思うことの方が多いのです。
というのも、ここ数年で手書きの図面をCADに変え、文書をワープロで打つようになり、しばらくは便利だー!と思っていたのですが、何か見落としが多いのです。
ワープロの文書は、読み直すと必ず誤字脱字があり、そのたびに印刷をし直し、捨て紙がたまるばかり。
裏紙の利用も追っ付かないほど。
CADの画面でスケッチしてみても、結局は紙に印刷して確かめて、また赤チェックをいれて、その紙にぐりぐりとスケッチを重ね、再度CAD入力する。
したがって印刷の紙がやたらと増えるのです。
気が付いてみると、手書きのスケッチや模型でアイディアを詰めているほうが結局は効率が良いし、文書も手書きでまず書くほうが出来が良い。
つまり、人間の思考のスピードが、そんなに速くないんだから、装置が早くても意味無いじゃん。人間の手の感触を不要とする装置は、なにか大切なものをなくしつつあるのでは?と思うようになってます。
「手の感触」というと、毎日株を売り買いしている人達が、キーボードのボタン一つで、何十億も売り買いして、大損したとか儲かったとかのマネーゲームは、まさに手の感触のない状態でしょう。
少なくとも建築という「モノを作る人たち」は、手の感触を忘れてはイケナイ。
建築にそんなにスピードを要求しちゃイケナイ。
そんな格言めいたことを言って、今日はこの辺で終わりにしときます。


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