安いことは良いことになったのはいつからか?
(新年のチラシを見て思う)
つい10年前には、大量の展示を誇る大型の店鋪やディスカウントストアでの購入は、まだ少しながら抵抗があったように思う。
ディスカウントストアでの製品は、アウトレットや電気製品でもランク落ちのものであると聞かされていたから、それを覚悟で買っていた。
大型の店鋪は配送をしてくれなかったり、古いものを引き取ってくれなかったりしたので、その部分の手間も考えて買っていた。
最近でそんな話も聞かなくなり、どんどん価格競争が激化して、「どこよりも安い」「1円でも高ければ返金します」の掲示が目立つが、逆にどこも同じような金額に揃っているとも言える。
オープン価格などという曖昧な表示ゆえに、正価も定価も分からないのだから、基準そのものがあってないような状態。
住宅の世界でも、すっかりと建築は商品になってしまって、新聞をにぎわす広告も、「坪26万円から」などという恐ろしい金額さえ出回り、ユーザーはますます混乱する。
電化製品がPL法によって、ユーザーが守られ、欠陥製品は少なくなっているのとは対照に、建築の世界では、訴訟と瑕疵のオンパレード。請負と言う仕事は、製品づくりと違うので、完成後に気に入らないからいらないといっても返せるわけではなく、問題を複雑にしている。
しかし、電化製品と比較して住宅や建築を語るからそんな話になるのであり、そもそも質の違うものではないだろうか。一緒に扱うことが間違っているとさえ言いたくなる。
2×4(欧米の住宅)に対する過剰な期待と日本の住宅に対する批判についても、どっちの性能が優秀かという議論は馬鹿馬鹿しいと思っている。
先日も工務店の社長と話していて感じたのだが、結露の問題やら、換気の問題やら、住宅の問題というより住み方の問題が殆どなのに、住まい手のいい加減な使い方に何でも対応させろなんて、車検も部品交換もしないで10年故障しない車を売れと言っているようなものだと。
今、施主に一番欠けているのは「どんな風に暮らしたいのか?」についての意見があまりにも少ないことだ。
工法も材料も設備も次の話なのに。
21世紀、とはいってもこれから大変な我が国、個人がしっかりしていかないと、どんどん間違った方向に進んでしまう。新年だけでもゆっくりと考え事を。
まず、わが身を正すことから始めたいと思います。
今年、日記をどこまで書けるかわかりませんが、以下のようなテーマを考えています。
なにか御要望があれば、メールでもくださいませ。
・ 環境の違いは住宅づくりに違いをもたらさないのか?
・ 欧米の作り方と日本の作り方の決定的な違いはなにか?
・ 住まい方の議論なくして住宅のモデルが選べるのか?
・ 建築家ってなんだろう?
・ 仕事に追われて失ってしまうもの。
・ リサイクルは本当に大切か?
・ リサイクルをするのに製造のコストよりお金をかけている事実。
・ 有限の資源を持たない国の過剰なリサイクルは意味があるのか?
・ 最近の住宅における自然素材の流行はどうなのか?
・ 含有ホルムアルデヒドの建材と、その含有基準値について
・ アメリカの基準が日本でそのまま使えるのか?
・ そもそもベニヤを使わなくても家はできるのでは?