うりり〜ん日記 〜〜〜〜〜〜

 2000.11.17(金曜日)

プロジェクトX その2(NHK)

で、11月16日の日記では、番組の紹介をするつもりではなくて、何を言いたかったのかというと、
建築の仕事において、夢のある話しが最近少ないなあということ。
発明とまではいかなくても、あっと思うような新鮮な空間がなかなか実現しない。
建築家の坂茂さんなどのユネスコの仕事を見ていると、夢と技術と物語があるけれど、現実的な住宅設計の依頼では、なかなか大胆な話しになっていかない。
クライアントも抱える夢はあるけれども、それがどんな夢であるかというと、もうすでにどこかで見たパーツを持ってくることばかりで、未だ見たこともない生活や空間に期待をしていることは少ないように思う。
らせん階段が欲しいとか、吹き抜けとか、2重サッシとか、広いリビングなど、 欲しいものはほとんどパーツになっていて、全体のことつまり、空間に対する期待が、余りにも少ない。
というか、夢をパーツに変換してしまっていて、パーツを揃えれば夢が叶うかのごとく、それを揃えようとしているのが気になる。
 だから、公庫仕様だからよい家とか、便利だから快適な家とか、大企業の製品だから安心だというような、本質とは全く違う部分で評価がされている気がする。
こんなにものが溢れていて、それを選択できる時代なのに、意外にその選択できる範囲や情報は限られていて、バリエーションがない。
なければ作ればいいのだと、息巻いても、やれ予算がないと職人すら逃げ腰。
職人気質はどこへいったのだ!?と、職人さんを責めても、実は、いいものを作ろうとする職人に、その賃金を保障できないのだから、だんだん身を入れなくなっていくのは当たり前。おまけに、保証ばかり求められるので、チャレンジもしないし、出来たものは、つまらなくなる。
安いことはいいこと?ばかりではないと。最近はそう思う。


 2000.11.16(木曜日)

プロジェクトX(NHK)

最近、毎週火曜日の夜に、NHKで放送している、プロジェクトX という番組を、ビデオに撮って楽しみに見ています。(夜なかの3時ごろに)
今では当たり前のコンビニがどのようにしてここまで来たかの苦労話や、 ホームビデオのVHSを開発したビクターの話しなど、日本から世界に向けて画期的な開発を示した技術者の応援歌のような、ジャパニーズドリームを教えてくれる番組です。(アメリカと違って個人が金持ちになった話しではないけど)
先週と今週は、マツダという自動車会社が開発し世界でたった一つのロータリーエンジンの話しでした。もう、泣けてきて泣けてきて。
話しの概略を簡単にすると、(うまく書けるかどうかわかりませんが)
 広島で、被爆を逃れたマツダの工場は、そもそも3輪車を製造していた会社であったが、戦後の復興期に次第に台頭してきた4輪車の波に押されていた。
社長は、会社の存続をかけ、その当時まだ理論だけで実用化は難しいとされていたロータリーエンジンの実動試作が出来たことを知り、ドイツに向かう。
世界の自動車会社がこぞって見学に来ている間で当時16億をいう巨額な出費を即決してパテントを購入。
小型で高出力なエンジンが手に入ったと喜んで、これに会社の運命を掛けることにしていた。
しかし試作車を作ったところ、これがとんでもない代物で、2万キロしか動かないでとまってしまう。
この原因は、エンジンの特殊な構造から来る、3つの問題で、これを解決するために当時の若い技術者が、諦めず、何度もトライして、実用化に至るまでの困難を描いたもの。
原爆によって致命的な被害を受けた広島の復興を車の製造を通して誓った技術者らの物語でした。
そして完成した車は、デザインも含めて絶賛され、世界で売れまくった。が、72年のオイルショックで、ロータリーエンジンの高出力故の燃費が悪いことが裏目にでて、全く売れなくなったことを理由に、開発を中断しようとする会社。
それをなんとか良くしていこうと再度改良に改良を重ねていく技術者の葛藤。そしてロータリーエンジンの信頼を回復するために選択したル・マン自動車レースの出場し、優勝するまでの歴史。
こんな話しでした。
出演して当時の思い出を語る技術者はみんなどこにでもいるような、どこかですれ違っているような「おじさん」で、なんだか親近感がわくし、とかく、経営者と技術者の葛藤はいつの時代にもあるんだろうなあ。
もう今にでもロータリーエンジンの車に乗りたくなった。
(いくらするんだろう?、う・・・・・高いなあ。買えないなあ。)


 2000.11.12(日曜日)

忙しすぎる!

今月は、なんだか地獄。
毎日とほほの3時4時。
現場に行く日は朝5時発なので、寝る暇も、プランを練る暇も、じっくり考え事をする暇も、日記を書く暇もなかった。スタッフが欲しい!(そろそろ募集するか?)
グループホームの現場は、既に基礎配筋の検査が明日にはあるのですが、上屋の木造部分は大きな変更が出て、軸組みが全面見直し。
「個人オーナーの理想と介護スタッフの現実」が変更原因ですが、その間に挟まれて大変なのは設計者と施工者なのですよね。
大宮の住宅は月曜日から土台入れ。基礎が出来てから1カ月も開いてしまったのは、現場監督が伊豆諸島の仕事で帰ってこれなかったためなんですが、遅れに遅れて水曜日には上棟。やっと全体が見えてきます。(楽しみ)。
そんでもって最近はHPを見たという電話からはじまった住宅設計の相談事で、夜な夜な1時ごろまで打ちあわせで、ほとんどボランティア状態。(お施主さんも毎日毎日熱心なのですが、体力あるよねえ・・・)。
日吉のアパートの図面は、バイト君が頑張って模型を作ったりしているけど一向に進まず悩ましいし、 2年前に建てた老人保健施設では、もう30床の増床を建物内に計画中で、日曜日も関係なく、ファックスやら電話がかかってくるし、
少し前から見積を取っていた、学芸大学の住宅は当初1000万円オーバーだったのを、なんとか700万円減額にこぎ着けて、施主さんの合意が取れて、今月末には着工。
某老朽化した本社ビルの改修では、クラックの補修工事の段取りを依頼されただけだと思っていたら、「お金に無関係に自由な提案をしてください!」と煽られてしまうし・・・
最後に一昨日には、下駄のプジョーのアクセルとブレーキを間違えて、電柱にぶつけてしまって、設計料で入ってきたお金は修理代に消えてしまいそうだし。大学の設計製図の授業担当では、学生の締め切りが近づいてくるのでハードになるであろうし、ああ、なにをやっているんでしょう私は。
今年がもう49日で終わってしまうなんて。
今年もまた年賀状が書けないか?
海外旅行も結婚記念日も温泉もなんにもしてない!
こういうの建築馬鹿っていうんでしょうねえ。さあ、今週も大変だ。
来年こそはたっぷり海外旅行をしてやる!と意気込んでも、予定表を見ると現場の空きがない。どうしましょ。パートナーシップのシステムがあればなあ。


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